【最終回】特別寄稿 生活困窮問題の相貌と生活困窮者自立支援制度の視座
社会福祉法人中心会 理事長 浦野正男
- 分野 生活困窮 /
- エリア相模原市南区 /
- 推進主体 社会福祉法人・事業所 /

本連載では、生活課題に対応する制度やサービスが広がる中、一人ひとりのニーズに対応できない狭間の課題をテーマに、県内の活動を取り上げてきました。その取材から見えてきたことは、生活基盤の不安定さを抱えながら地域から孤立する人たちの生活と、ご本人に寄り添う断らない相談・支援を実践する現場の取り組みでした。
最終回の今号では、厚生労働省「社会保障審議会・生活困窮者自立支援及び生活保護部会」委員として、制度の見直しの議論に参加された、(福)中心会理事長の浦野正男さんにご寄稿いただきました。
私は令和4年から令和5年にかけて、厚生労働省社会保障審議会の「生活困窮者自立支援及び生活保護部会」の一委員として、社会福祉法人経営者の立場でその審議に参加しました。令和4年12月に「中間とりまとめ」が行われ、令和5年12月には「最終報告」が発表され、さらに、これを受けて生活困窮者自立支援法の改正案が令和6年2月9日に閣議決定されています。
これらの関係資料は厚生労働省ホームページ等で閲覧できるので、そちらを参照していただきたいと思いますが、私は本稿では、これらの解説をするのではなく、これまでの30~40年の社会の変遷を踏まえて、生活困窮問題をどうとらえるかという観点から、思うところを述べたいと思います。
社会変遷の振り返り
1980年代のバブル経済は90年代に崩壊し、北海道拓殖銀行や山一証券等の大企業の経営破綻に象徴されるような、経済の全般的危機をもたらしましたが、そこから脱するために、民間金融機関に対して政府が公金資金を注入するという前代未聞の政策が実施されました。このような政策に対する社会的批判の中で広がった「自己責任」という言葉は、もともとはバブル経済に狂奔した大企業やその経営者層に向けられたものでしたが、いつしか、崩壊のしわ寄せに苦しむ人々、とりわけ社会保障が真っ先に救済するべき生活困窮層の人々に投げつけられるようになり、やがて多くの人々の意識に内面化され、呪縛するキラーワードにさえなってきました。やや後の出来事ですが、有名テレビタレントの母親が保護受給者であることが報道され、それがあたかも不正なことであるかのようにあげつらわれたのも、そのような人々の意識に規定されたものと言えましょう。
2008年のリーマンショックは、1980年代から進行・拡大していた雇用の不安定化とあいまって、派遣切り、雇い止め等を顕在化させ、多くの人々の生活を脅かしました。東京の日比谷公園に「年越し派遣村」が出現したのは、その年の暮れでした。さらに2011年の東日本大震災を経て、貧困、生活困窮はもはや、決して過去の歴史上の事象ではなく、多くの人々にとって〝明日は我が身〞の切実な問題、〝ふつうの市民〞の生活と地続きの問題として浮上してきましたが、同時に人々の意識に内面化された、社会保障とりわけ生活保護を白眼視する社会の空気も根強く残っていました。
生活困窮者自立支援制度の視座
こうした社会と歴史を背景に、2013年に第二のセーフティネットとして、生活困窮者自立支援法が成立しました(施行は2015年)。
第二のセーフティネットというように、生活困窮状態にある人々に支援を届けることによって生活保護に至る前に自立を助けることが制度の基本的な建付けですが、法の精神は決して、要保護階層・困窮階層・一般階層のように、人間を〝輪切り〞にして捉えるような浅薄なものではなく、すべての人々を地域社会の一員として包摂する「地域共生社会づくり」という、壮大な社会的チャレンジの〝環〞のひとつと見ることができます。それは、生活困窮が社会的孤立と通底するものと理解されるからです。
たとえば、住宅は人々の生活の土台をなすものですが、単に住宅というハコを確保するだけでは足りません。その住宅を土台として、その人に適した仕方で、社会(他者)とのつながりを持てるようにする支援が必要です。また、そのためには家事をはじめとする日常生活が支えられることも必要です。かつては、これらの支援は、人が障害者、要介護者等にカテゴリー化されなければ届きにくいものでしたが、それらのカテゴリーの枠外にも支援を必要とする人々が多くいます。
あるいは、就労は人の経済的自立の土台ですが、多くの人々にとっては社会(他者)とのつながりを築く通路でもあります。ですから、就労支援は経済的自立を視野に入れつつも、それだけにとらわれない、社会とのつながりを築くための支援のひとつ、たとえカネにはつながらなくても就労すること=直接・間接に社会(他者)とつながること自体の支援と理解されます。
こうした支援の入り口が〝断らない〞〝伴走型〞の自立相談支援です。さまざまの法制度は、その対象を特定し、行う事業を特定します。縦割りの制度別の機関は、個々の市民の求めについて、法令の条文に照らして可否を判断しますが、市民の求めの後背にあるさまざまな苦悩に思いを馳せることはせず、定型的に切り出すことが可能なニーズに対応することにとどまりがちです。しかし、生活困窮の問題はそれに反して、極めて不定型で個別的な姿形として存在します。それは当事者自身にも言語化が著しく困難でさえあります。ですから、自立相談支援の窓口が「それはできません」と相談を断るようではその先の支援には結びつきません。一人ひとりの市民が抱える困窮の構造を解き明かし、課題を解きほぐすとともに、生活困窮者自立支援制度の各事業はもとより、あらゆる制度・施策を使い尽くし、〝ないものはつくる〞ことまでを視野に入れて、伴走あるいは寄り添ってゆく相談支援が求められます。
生活困窮者支援と社会福祉法人
冒頭私は「社会福祉法人経営者の立場でその審議に参加しました」と述べましたが、社会福祉法人は社会福祉法で「社会福祉事業の主たる担い手」とされています。そして、社会福祉事業の原点が生活困窮者支援であることは、まぎれもない歴史的事実です。そのような原点を持つ社会福祉法人は、生活困窮者支援にどのようにかかわり、貢献するべきでしょうか。
第一は、現在の事業の延長線上にある課題に着目することです。たとえば保育所は、制度によって切り出された保育というニーズに対応する事業を行なっていますが、地域社会には保育の延長線上に子育てに関する多種多様な課題があるでしょう。
第二には、自己が保有する資源に着目することです。保育専門職集団という人的資源、園舎・園庭などの物的資源を、制度によって切り出された保育ニーズの縁辺にある地域課題の解決に活用することが考えられます。
第三には、地域の社会福祉法人が(社会福祉法人に限定する必要はありませんが)、連携・共同して、それぞれの強みを生かし合い、弱みを補い合う視点を持つことができるのではないかと思います。
社会福祉法人が自らのポテンシャルを大きく発揮することは、生活困窮者自立支援法が期待するところだと思います。
まとめ
さまざまな法律・制度が縦割りに分立し、それぞれの法律・制度が人間の生活から切り出し可能なニーズに対応して自己完結するのではなく、人間の生活の全体像から出発し、すべての人間を地域社会に包摂する「地域共生社会づくり」の理念を実現するための、ひとつの〝環〞が生活困窮者自立支援制度なのだと思います。